なぜ成田は、羽田に負けなかったのか—片山敏宏氏(成田国際空港 上席執行役員・元成田市副市長)に聞く
世界の玄関口でありながら、「遠い」「不便だ」と言われ続けてきた空港がある。2010年、羽田空港の国際化が決まったとき、成田の街には「国際線の客をすべて取られるのではないか」という危機感が漂っていた——。
片山敏宏氏は、その時代のただなかで成田市副市長に就いた。国土交通省の出身。副市長を経て、現在は成田国際空港株式会社(NAA)の上席執行役員を務める。立場を変えながらおよそ13年、「空港と地域」のあいだに立ち続けてきた人物である。
NARITA TIME編集部は、片山氏に12分36秒の単独インタビューを収録した。上の動画で語られていることを、ここに文章として記録する。
「羽田にやられる」——13年前の成田
片山氏が成田市副市長に着任したのは、羽田空港が国際化へ舵を切った、まさにそのときだった。
それまで成田空港は国際線の専用空港であり、羽田は国内線——その前提のもとで、地域の人々は土地を譲り、滑走路が造られてきた歴史がある。その前提が崩れた。
「羽田は近くて便利。成田は遠くて不便だと、ずっと言われ続けていましたから、国際線のお客さんを全部羽田に取られるんじゃないかという危機感が、成田地域全体に漂っていました」
追い打ちをかけるように、成田の国際線を担ってきた日本航空(JAL)が経営破綻した時期とも重なる。「着任したとき、成田は非常に暗い状況だった」と片山氏は振り返る。
「まずは『羽田に負けないぞ』という気持ちで、地域と空港が一致団結して、『成田がいいんだ』という魅力を作っていかなければ、と思っていました」
若手10人の「成田空援隊」
そこで生まれたのが「成田空援隊」だ。地域と行政、そして空港会社から若手・中堅の約10人が集まり、映画やドラマのロケ誘致、映画づくり、ご当地グルメの開発といった活動を重ねた。
この動きは首都圏のメディアにも届く。「羽田国際化に対抗する成田の秘策」としてテレビで取り上げられ、片山氏の言葉を借りれば、「成田はまだ元気なんだ、成田は面白いんだ」ということを首都圏に伝える回路になった。
コロナ明けの3年——映画、ヘリコプター、新滑走路
時は流れ、3年前。コロナ禍がようやく明けた夏に、片山氏はNAAの役員として成田空港へ戻ってくる。人の消えた空港からの再出発だった。
最初に取り組んだのは、ここでもまた、地域を題材にした映画づくりである。吉本興業と組んで製作した映画は渋谷・新宿でも公開され、国際短編映画祭で観光にかかわる賞も受けた。「地域と空港が一緒に取り組むことで成田空港が盛り上がっていく。そういうメッセージになった」
インバウンドは99%消滅から、わずか1年でコロナ前の水準まで戻った。すると今度は、空港で働く人の不足が顕在化する。片山氏が語ったエピソードが印象的だ。
空港のすぐ近くで暮らし、学んでいながら、飛行機に乗ったことのない子どもたちが児童養護施設にいる——それを知った片山氏らは、ヘリコプターで成田空港の上空を飛び、子どもたちに空港を見てもらう取り組みを行った。
「飛行機に乗ったことのないお子さんたちが、ヘリコプターから空港を見ることで憧れを持ってくれて。次の春には、2人が空港に入ってくれました」
そして新滑走路。成田空港の第2滑走路は、開港から完成まで30年を要した。現在建設を進める新しい滑走路では、土地収容制度も視野に入れて進める道筋がついたと言う。
発着1.5倍、働く人は4万人から7万人へ
新滑走路がもたらす変化を、片山氏は具体的な数字で語る。
「空港の発着回数は1.5倍になります。空港で働く人も、いまの4万人から7万人になる。増える3万人は、必ず成田周辺に住むと思っています」
片山氏によれば、成田空港は日本で最も国際線の多い空港であり、日本を訪れるインバウンド約4,000万人のうち3分の1を受け入れている。貿易額では、海の港を含めても日本一の「貿易の港」でもあるという。
「空港だけが良くなるのではなく、成田の地域の人口が増えて、お客さんが増えて、活性化していく。それが3年間で取り組んできたことです」
「東京より、世界のほうが隣にある」
成田の魅力を問われた片山氏は、「グローカル」という言葉を使った。世界の玄関でありながら、周りには田園風景が広がり、日本の古い生活が色濃く残る。その同居こそが成田だ、と。
「成田−仁川、成田−台北、成田−香港という路線は、世界でもベスト10に入るくらい、国内線と同じようなシャトル便で結ばれています。東京に行くよりも、世界のほうが隣にある。成田の人は、それぐらい恵まれた環境にいるんです」
若い世代へ——福岡から憧れた成田
片山氏は福岡の出身である。福岡にも国際空港はあったが、それでも「アメリカにもヨーロッパにも、あらゆるところに行ける成田空港は、ものすごい憧れの存在だった」。その憧れが、国土交通省へ、そして航空の世界へ進む原点になった。
先日、成田空港で働く福岡県出身者の会を開いたところ、日本航空と全日空だけでそれぞれ6人ほどが集まったという。彼らが口々に語ったのは、「福岡にいると、世界が隣という実感が持てない。世界の人に直接関わる仕事がしたくて、あえて成田を選んだ」ということだった。
最後に、成田に暮らす若い世代へのメッセージを聞いた。
「成田に住んでいると、なんとなく東京より田舎だと思っているかもしれない。でも、九州や北海道から『成田で働きたい、成田空港の周辺に住みたい』という人がたくさん来ているのも事実です。世界に関わる仕事をしたいとか、気軽に世界に出て、いろんな人とコミュニケーションをして、それを持ち帰って仕事や勉強に活かすとか。そういう気持ちで日々過ごしてもらえると、楽しい人生になるんじゃないかなと思います」

片山 敏宏(かたやま・としひろ)氏
福岡県出身。
成田国際空港株式会社(NAA)上席執行役員、平成6年運輸省入省、成田市副市長として「成田空援隊」での活動等羽田国際化に対抗した成田の活性化に深く携わる。その後、観光庁観光戦略課長、国土交通省航空局総務課長などを経て、3年前にNAAに着任し、コロナ後の空港の人材不足を描いた映画「空の港のありがとう」の制作活動を行い、国際短編映画祭「ショートショート フィルムフェスティバル & アジア 2024」において、観光映像大賞観光庁長官賞を受賞するなど成田の空港と地域を掛け合わせた新たな魅力創出を図り、また、第二の開港に伴う成田空港の人材確保と地域への定住促進のために、スマホでの縦型動画で様々な職種や取組をtiktok「あなたの知らない成田空港」で発信、100万再生を超える動画もでてきている。
(編集後記)この記事は、上の取材動画(12分36秒)で語られた内容を、編集部が文章として記録したものです。引用は発言をもとに、話し言葉の言い直しのみを整えています。