Story

成田山の初詣で、病院が、引っ越した——藤﨑康人氏(成田病院 理事長・院長)に聞く

編集 info 更新 2026年8月26日 読了 約5分

成田山新勝寺の初詣は、正月三が日だけで300万人ともいわれる人出になる。参道は歩行者天国になり、街の風景が一変する——その人波が、ひとつの病院を動かしたことをご存じだろうか。

医療法人鳳生会・成田病院の藤﨑康人氏は、理事長として3年目を迎える。前身の藤立病院から数えて4代、約120年にわたって成田の医療を担ってきた一族の現当主であり、いまも院長として診療にあたる。

NARITA TIME編集部は、藤﨑氏に10分36秒のインタビューを収録した。上の動画で語られていることを、ここに文章として記録する。

目次

初詣が、病院を動かした

かつて病院は、成田山の参道にあった。

「お正月、成田山は初詣で歩行者天国状態になります。患者様の通院が、お正月にはなかなか困難になってしまう。そういうことがありまして、いまの成田病院のほうへ病院機能を移しました」

その病院の名は、藤立病院。明治35年(1902年)、成田山表参道に開設された(※病院公式サイトに明記)。以来100年にわたり参道で診療を続けたが、2003年、病院機能を現在地へ移し、いまの成田病院となった。初詣という成田最大の風物詩が病院を動かした——門前町・成田の規模を物語る逸話である。

祭りの3日間、境内に医師がいる

参道を離れたいまも、病院と門前町の縁は切れていない。成田祇園祭では、山車を出す上町からの依頼を受け、救護として協力を続けている。

きっかけはコロナ禍だった。2020年の祭りは中止。翌年以降、感染がまだ収まりきらないなかで祭りを開催するにあたり、「体調不良者が出たときに診察ができないか」と相談が持ち込まれた。

「お祭りの3日間——金・土・日ですけれども——できるだけ滞在して、体調不良の方が出たときには速やかに診察する。必要であれば病院にお連れして点滴をしたこともありますし、近くの休憩スペースで訪問診療というかたちで点滴をして、回復に努めました」

「おかげさまで、私が関わったなかでは皆さん回復されて、また祭りに戻れています」

祭りの熱気の裏に、無料で待機し続ける医師がいる。

120年、4代の医療

藤﨑家の医療は、およそ120年・4代にわたって続いてきた。

現在の理事長職は3年目。先代の理事長であった兄が亡くなり、その後を継いだ。先代が遺したもののなかで大きいのが、人材育成の仕組みである。平成3年(1991年)に二葉看護学院を、平成4年(1992年)に藤リハビリテーション学院を設立し、医療機関と教育機関を併せて運営する体制を整えた。

「地域の皆様に貢献できることを、私も含めて代々の院長は考えて医療をやってきました。地域への密着を重視した医療機関として、これからもできる限り病院機能を維持していきたい」

外国人が1割に近づく街で

成田ならではの医療とは何か。藤﨑氏がまず挙げたのは、外国人医療だった。

「成田は空港という職場があり、日本人だけでは人員がまかなえず、外国人の働き手が増えています。周辺の富里市も成田市も、外国人人口が約10%に近づこうとしています」

「本当に病気になったとき、困ったときに、外国人の方々もストレスなく医療機関を利用できるように。『外国人だから』ということができるだけないように、外国人ウェルカムという考えで運営しています」

アフリカや東南アジアからの患者が少しずつ増えており、多言語対応アプリを使った外来対応も始めているという。空港の街の病院は、そのまま世界の玄関口の病院でもある。

看護師を、地域で育てる

一方で、担い手の確保は年々厳しくなっている。同院には現在200数十人の看護師がいるが、系列の看護学校の定員充足率は、コロナ前の100%から80%程度まで落ちた。

「30年以上前から、地域のために看護学校とリハビリテーション学院を運営してきました。近くの成田北高校の学生さんが実習に来てくれています。現場の実習を通じて仕事の魅力を伝えていく。それは今後も続けます」

奨学金制度の充実に加え、成田市独自の奨学金制度もあり、経済面の支えは整いつつあると藤﨑氏は言う。職場の環境改善や電子化も、若い世代が働きやすいようにと進めている。

「30年、50年、100年を見据えて」

病院と関連施設で預かる患者・入所者は合わせて700人近く。その8〜9割は自宅に帰ることなく、ここで最期を迎える。

「地域でずっと過ごされてきた方が、最後まで穏やかに過ごせるように。120年前から、私の父、祖父、曽祖父の時代から通ってくださっている患者さんがいらっしゃいます。連綿と続く地域の一部として、重圧を感じながら、先輩方に教えていただきながら、後を継いでいる気持ちです」

最後に、これからの成田とZ世代へ向けて聞いた。

「医療は国が制度を作り、我々はその制度の中でしか動けない。基本は税金で運営されているものですから、公務員と同じ、公共心だと思っています。目先のことではなく、30年、50年、100年のことを見据えながら、地域のために仕事を続けていきたい」


藤﨑 康人(ふじさき・やすひと) 医療法人鳳生会 成田病院 理事長・院長。明治35年(1902年)に成田山表参道で開設された藤立病院から4代・約120年にわたり成田の医療を担う。系列に二葉看護学院・藤リハビリテーション学院。


(編集後記)この記事は、上の取材動画(10分36秒)で語られた内容を、編集部が文章として記録したものです。引用は発言をもとに、話し言葉の言い直しのみを整えています。


info
Editor

info

Share
X で共有 LINE で共有