Story /インタビュー

成田空港の第3滑走路、地元合意までの3年——元成田市副市長・吉田昭二氏が語る成田の「もったいない」

編集 info 読了 約10分

成田空港の3本目の滑走路(C滑走路)は、どうやって地元の理解を得たのか。その話し合いのただなかで成田市副市長を務めたのが、吉田昭二氏である。

国土交通省から成田に関わり始めたのは2001年。副市長、成田国際空港株式会社の執行役員を経て、2026年8月まで国土交通省東北運輸局長を務めた。およそ四半世紀、空港と成田のまちのあいだに立ち続けてきた人物だ。

NARITA TIME編集部は、吉田氏に「成田の若者たちに伝えたいこと」を聞いた。羽田空港の限界、成田山表参道の夜、成田市場の構想、そして「隣は世界」という言葉。上の動画(14分05秒)で語られたことを、ここに文章として記録する。

この記事のポイント

  • 羽田空港は年間49.8万回でもう限界。成田は滑走路がもう1本あれば50万回、両空港で100万回になる(吉田氏)
  • 成田山表参道は年間1,000万人が訪れるのに、夕方5時には人が消える。夜を開ければ、まだ稼げる
  • 成田は「日本で一番、世界が近い街」。若い人には世界に出て、最後に成田へ帰ってくる人生設計をしてほしい
目次

羽田空港は「もう限界」——首都圏の国際空港は実質2つ

(動画 0:35〜)

吉田氏が成田に来た2001年当時、空港の話をしに地域へ出向くと、まず返ってきたのは「何しに来た」という言葉だったという。

「お前はここに住んでいないんだから、お前に話す権利はない。成田空港の話だったら聞かない。そんな雰囲気だったんです。それが四半世紀経って、今は3本目の滑走路を整備する話まで来ました」

吉田氏は、首都圏の国際空港は実質的に羽田と成田の2つしかないと話す。そのうえで、両空港の発着回数を具体的な数字で比べた。

「羽田空港は今、年間49.8万回飛んでいて、空の容量からも地上の容量からも限界です。成田空港はまだ26、7万回。滑走路がもう1本できれば、50万回、もしくはそれ以上飛ばせます。成田と羽田、両方で100万回。そこまで飛んでやっと、3,000万人の首都圏の人口と、6,000万人のインバウンドを支えられると思っています」

だからこそ成田空港には、まだまだ整備と発展が必要だ、というのが吉田氏の考えである。

滑走路だけでは足りない——空港と一緒に「街」をつくる

(動画 2:22〜)

ただし吉田氏は、滑走路を造るだけでは足りないと続ける。

「空港で働く方々に、ここに住んでもらう。そのための街づくりが必要です。他の国では、空港と一緒に街を発展させます。国も県も支援しながら、空港周辺の街をつくっていく。そうしないと、あと3万人なんて進みません」

働く人が住む街に加えて、空港を活かした産業を地域に呼び込むことも欠かせないという。その先にあるのは、空港と地域の関係そのものの変化だ。

「これまでの対立の歴史は深いですが、それを超えて、空港と地域が手を取り合って発展していく。そういう時代が来る、来なければいけないと思っています」

そして、それを担うのは若い世代だと吉田氏は言う。

「地域を愛し、地域で活躍していただくとともに、世界を常に見ていて、世界に出ていくことを厭わないでいただきたい。ちょっと矛盾しているようですけれども、両方なんですよ、私の思いというのは」

成田空港の第3滑走路、地元の理解を得るまでの3年

(動画 3:57〜)

吉田氏が成田市副市長に就いたのは、3本目の滑走路について地元と話し合いを進める時期だった。

「何十回も地域に出向かせていただいて、説明をし、いろんな話を伺いました。結果的に3年かかりましたが、地域の理解が得られ、四者協議会で3本目の滑走路について賛同をいただきました」

四者協議会は、国、千葉県、空港周辺の市町、成田国際空港株式会社の4者で構成される協議の場である。吉田氏は、全員が賛成したわけではないと断ったうえで、こう振り返る。

「地域の大半の意見として、3本目の滑走路を造って、地域と成田空港の両方が発展してほしいという思いをまとめていただいた。本当に、地域の方々に感謝するばかりです。空港と地域が対立してきた時代から、今は手を携えて発展していこうという時代に変わってきたと思います」

吉田氏が若い世代に求めるのは、まずこの歴史を知ることだ。「空港とともにある地域づくり」と、その逆の「地域とともにある空港づくり」。両方を進めてほしいという。

「学校で教えてくれる地域の歴史には、多分限界があります。自分で学んでもらいたい。成田山新勝寺も、平将門の乱から始まる歴史は非常にユニークです。この歴史ある成田の街は、まだまだ発展させられる。絶対そうなんですよ。もったいなくてしょうがない」

同じく国土交通省から成田市副市長を務め、羽田国際化の時代を振り返った片山敏宏氏のインタビューは、なぜ成田は、羽田に負けなかったのかで読める。

成田山表参道は、夕方5時に人が消える

(動画 6:02〜)

副市長時代、吉田氏が担当したのは滑走路、観光、成田市場の3つだった。観光について、吉田氏は成田山新勝寺の集客力を認めたうえで、参道の「もったいなさ」を指摘する。

「年間1,000万人と言われていますが、参道の皆さんの稼ぎの3分の1は、年末年始の初詣と豆まきで稼いでしまうと言われています。もったいないなと思うんですよ。夜が開いていないので。4時半から閉め始めて、5時には参道から大体人がいなくなります」

たとえば7時まで店を開け、参道の雰囲気のなかでお酒が飲めるだけでも、まだまだお客さんは来るはずだという。

「昼よりも夜のほうがお金を落としてくれますから。そのお金を地域の振興に回していけば、スパイラルアップです。私はいろいろお願いしたんですけど、うまくいきませんでした」

吉田氏が描いていたのは、東京の丸の内のような参道の姿だ。軒先に店を出し、ベンチを並べて、食事をしながら休める場所にする。長い参道の途中で、ひと息つけるスペースにもなる。

「椅子や屋根は安いものだと思うんです。私がやったのは、参道を石畳っぽくしたくらい。インフラの部分と、ソフトで工夫する部分と、まだまだやれる余地があります。参道が駐車場に変わっていくのは、もったいなくて、残念でなりません」

だからこそ、若い人たちが「これじゃダメなんじゃないの」と声を上げてほしい、と吉田氏は言う。先人が苦労して作ってきた参道を引き継ぎ、インバウンドも含めて成田の活気をもっと上げてほしい、と。

成田市場を「集客施設」に——防音堤の展望台と、全国の見本市

(動画 8:44〜)

3つ目の担当は、成田市場だった。成田市場から、周辺や日本全国の産品を世界に輸出する。ここで稼ぎ、海外で「おいしい」と思ってもらえれば、日本に来てもらえる。そう考えて整備が進み、輸出はすでに始まっている。

それでも吉田氏は「輸出と食事の施設だけでは、私の頭の中ではまだ未完成」だと話す。

「あそこをもっと集客施設にしたいんです。人が集まって、インバウンドも集まる。できれば宿泊施設や、グランピングのような施設もあっていい」

吉田氏が「一番面白い」と挙げたのは、高さ10メートルほどの防音堤だ。

「防音堤に登れば、空港の中が見えますからね。あそこを展望台にして、お店を少しでも作らせてもらう。空港と警察の許可はいりますが、まだまだ面白いことになります」

そして、一番やりたかったこととして語ったのが、全国の見本市の構想である。

「成田空港に来るバスを片っ端からあそこに止めて、日本全国の見本市のような形で、いろいろなものを並べる。日本のいいものは、実はここに集まっていますよと。最後にここでお買い物をして、空港から帰っていただく。まだ道半ばですが、この夢を若い方々に託したいと思います」

「隣は、世界」——日本で一番、世界が近い街の若者へ

(動画 10:37〜)

最後に吉田氏は、インタビューの冒頭で語った「世界に目を向けてほしい」という話に戻った。

「皆さん、飛行機を見ながらこの地域で生きてこられたと思います。騒音など負の面もあります。でも、ここから世界に飛び立っていける。隣は世界、何十都市とつながっているんです。日本に住みながら、世界に住んでいるようなもの。日本でおそらく一番、世界が近い地域だと思います」

ニュースを見れば、成田は世界と完全につながっている、と吉田氏は言う。ロシアや中東で戦争が起きれば、その空域を飛べなくなり、燃料が高騰し、成田空港のジェット燃料の確保も難しくなる。吉田氏によれば、成田空港は半導体やスポーツカー、医薬品などを輸出する、取扱金額で日本一の港でもある。その「日本一の港」が、旅客も物流も世界情勢に大きく左右されている。

「だから成田の人は、世界に敏感でなければいけない。若い人が地域だけに目を向けているのは、これからはもう無理です。いつでも世界に出て、世界で仕事をしていい。最後に成田に帰ってくればいい。そのくらいの気持ちで、人生設計を考えてもらいたい」

もちろん、地域が大好きなら、地域で世界を見ながら貢献するのも立派なことだと付け加える。一方で、気になっていることもあるという。

「最近、国家公務員や県の職員にはなりたくない、市の職員になりたいという人が結構いるんです。引っ越したくない、世界にも行かなくていい。どうしても内向き志向になっている。でも、地域に拠点を置きながら、日本全国や世界とつながることは全然できます。むしろそれが世界標準になってくる」

成田には、国際色豊かな高校もある。吉田氏はインタビューをこう結んだ。

「自分を見る目、地域を見る目も大事ですけど、世界を見る目もしっかりと育てていただいて、自分の将来を選んでいただきたいなと思います」


吉田 昭二(よしだ・しょうじ)
国土交通省で航空行政に携わり、2001年から成田空港と成田市に関わる。成田市副市長(2015年7月〜2020年6月)、成田国際空港株式会社 執行役員(2020年7月〜2023年6月)、国土交通省 航空局 交通管制部長(2023年7月〜2025年6月)を経て、国土交通省 東北運輸局長(2025年7月〜2026年8月)。


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(編集後記)この記事は、上の取材動画(14分05秒)で語られた内容を、編集部が文章として記録したものです。引用は発言をもとに、話し言葉の言い直しのみを整えています。発着回数や人数などの数字は、吉田氏の発言として記載しています。

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